本当の幸せ②
ヨガ哲学を語るうえで外せないのが、ヴェーダという聖典である。
知識の源と言われ、人類全員の願いを叶えるためにヴェーダはあるという。
その聖典の中では、自分というものはもうすでにいつでも満ち足りている存在とあるらしい。
え…全然満ち足りてないねんけど…どういうこと??
と当時の私は混乱した。
お金もないし、子供は言う事聞かないし、夫は家事育児手伝ってくれないし!とないないづくしだった。
しかし、ヨガでは幸せの概念がそもそも違ったのだ。
自分の行いを通して得られる幸せは限界があると言うこと。
何かを手に入れる
↓
何かを失う
↓
また何かを手に入れたくなる
の繰り返しになってしまい、いつも何かを追い求める不安定な自分の出来上がりということだ。
モノに溢れている現代では移り変わりが激しい。
いつももっと欲しい、周りと比べてあれがないこれがないとないないのオンパレードだ。
こんなふうに手に入れるために、人やお金等自分以外のモノに頼らないと得られない幸せは本当の幸せではない。
お金や、私を愛してくれる人はいつかなくなってしまうかもしれない。
そういう不安定なものも本当の幸せではない。
あってもなくても幸せ。
そう言うものが本当の幸せであるとヴェーダは言う。
=それは自分ということだ。
自分だけはどうやっても切り離すことができない。
だからヴェーダでは自分=すでに満ち足りた存在であり幸せの素になるという。
幸せは自分の中にすでに在るモノだったのだ。
私たちが気づかないだけで。
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